月別アーカイブ: 2014年7月

その他の誤謬

<循環論証>
 循環論証(論点先取とも言われる)は結論そのものを仮定してしまう誤謬である。そのような論証は全て妥当である(仮定が全て真であるため、結論も真となる)。そして前提と結論には関連性がある。しかし論証としては意味をなさない。

[次の論証の誤りを示せ]
公衆の面前で裸になることは、それ自体が明らかに間違っているので、不品行である。

[解答]
前提は”公衆の面前で裸になることは明らかに間違っている”であり、結論は”公衆の面前で裸になることは不品行である”ということになる。二つの文章は同じことを言っている。従ってこの論証は論点先取となり誤謬である。

[次の論証の誤りを示せ]
死刑は正当である。なぜなら我が国は誘拐や強盗などの犯罪が蔓延していて、そのような人でなしを死に至らしめる法律があるからだ。

[解答]
“死刑は正当である”という結論が、”死に至らしめる法律がある”という仮定によって主張されている。これら2つは同じことを言っている。他の前提によって感情的に結論を正当だと思われたとしても、誤謬である。

 論点先取は、議論が進んだ前提を基に結論を導く、非常に幅広い意味で用いられることがある。だがどれほど綿密に議論された前提であろうとも、それ自体が結論と同等であるなら、その論証はごまかしであると言えよう。言葉を言い換えただけで、同じことを言っている場合には注意が必要だ。
 この誤謬関連して”複問の虚偽”という手法もある。例えば「あなたは配偶者を殴ることを止めたことはありますか?」という質問は、「あなたは配偶者を殴ったことがありますか?」という質問を暗に仮定している。答えがイエスでもノーでも配偶者を殴ったことがあるという結論を導きこうとしているわけだが、”配偶者を殴ることを止めたことはない”という前提から”配偶者を殴ったことがある”という結論は誤謬である。

<意味論的誤謬>
 意味論的誤謬は、用いられている表現が二つ以上の意味をもつか極めて曖昧な意味を持つときに、それらを前提として推論することである。ほとんどの単語には二つ以上の意味を持つのだが、文脈によって特定の意味を表す。しかし文脈がその単語の意味を特定せずに結論を導いてしまう場合がある。

[次の論証の誤りを示せ]
言葉を議論することは愚かなことだ
“差別”とは言葉の一種である。
∴差別を議論することは愚かなことだ

[解答]
 ”差別”という単語は単語である以前に別の意味もある。もしここで”差別”が単語の一つとして扱われるならば、この論証は妥当である。しかし本来の意味で用いられているとすれば、二つ目の前提が偽となるため、論証全体として偽となる。

<帰納的誤謬>
 帰納論証において確率が非常に低い、または主張者の最低限の意図より低い場合、帰納的誤謬となる。例えば”早まった一般化”の多くは、確率や統計の誤りである。

[次の論証の誤りを示せ]
先週の月曜日に車を廃車にした。
先々週の月曜日はエアコンが壊れた。
∴月曜日はいつも悪い事が起こるに違いない。

[解答]
月曜日の事例が2件であり、全ての月曜日の数を考慮すると極めて確率が低い。従って2件の事例から月曜日に悪いことが起こるという結論は早まった一般化であり誤謬である。

<形式的誤謬>
 形式的誤謬は演繹手順の誤りである。詳しくは記号論理において説明する。演繹手順の誤りであるため、記号による演算で誤りを示すことができる。

[次の論証の誤りを示せ]
もし誰かが真実を知っているなら、太郎も知っているだろう。
だれも真実を知らなかった
∴太郎も真実を知らない。

[解答]
 前件否定であり誤謬である。もし誰も知らなかったとして太郎が知っていたとしても、最初の前提”もし誰かが真実を知っているなら、太郎も知っているだろう”は偽ではない。前件否定は以下のように記号で表される。

  A \to T \\  \lnot A \\  \therefore \lnot T
 

<誤った前提の誤謬>
 前提が偽であるとき、論証そのものは妥当である場合もあるが、健全とは言えない。一般的には論証の評価 で説明した。

[次の論証の誤りを示せ]
あなたは我々に賛成か反対か、あるいは両方かである。
あなたは賛成していない。
∴あなたは反対すべきだ。

[解答]
 最初の前提は一般的に矛盾している。しかし論証としては妥当である。単に最初の前提が偽であることだけが、この論証の誤りと言える。

 前提が偽であることが大きな問題となる例を見てみよう。

[次の論証について考えてみよ]
もし太郎が東京に戻ったら、花子は東京を離れるだろう
もし花子が東京を離れたら、優子は彼女と一緒に大阪へ行くだろう
もし優子が大阪へ引越したら、彼女の友人はみんな東京を離れてしまうだろう。
もし彼女らが全員東京を離れたら、残った人たちが東京でひどい生活をするだろう。
そんなことがあってはならない。
∴太郎は東京に戻るべきではない。

[解答]
 これはいわゆる”domino theory”と呼ばれる論証である。数ある前提が一つでも偽であるなら、結論も偽となるため、非常に妥当性が低い。このような論証は、結論ありきで話を進めようとするときによく見られる。

関連性の誤謬2

<藁人形の誤謬>
ad hominemとは対照的に、藁人形の誤謬は類似の尤もらしくない主張を用いて結論を混乱させる。藁人形(straw man)はフェンシングにおいて、実際の決闘を行う前の練習に用いられたダミー人形のこと。似ている主張を批判することで、本来の主張をも批判しようとする場合、これにあたる。

もし全てのものが相対的であるなら、真実なんで存在しない
∴アインシュタインの相対性理論は間違っている

相対性理論は全てが相対的であると言っているわけではない。この場合「全てのものが相対的である」という前提が「藁人形」である。結論の「アインシュタインの相対性理論」よりも「全てのものが相対的である」という主張を暗に攻撃していることがわかるだろうか。

<脅迫論証(ad baculum arguments)>

[次の論証の誤りを示せ]
もし私に票を入れなければ、あなたを嘘つきと言いふらす。
∴あなたは私に票を入れるべきだ。

[解答]
何度も繰り返しになるが、前提と結論には関連性はない。嘘つきと言いふらされる脅威から、結果として相手は票を入れるということになる可能性が高くとも、論理的には誤りである。

 脅迫論証は会話においてよく見られる。しかしただの脅迫と脅迫論証との区別は実は難しい。次の例を見てみよう

[次は脅迫論証か?]
母:「部屋を片付けなさい、さもないと…」
息子:「さもないと?」
母:「さもないとお仕置きするわよ」

[解答]
 脅迫論証ではない。そもそも論証ではない。母は結論を証明しようとしているのではないからだ。

<権威論証(ad verecundiam arguments)>
 権威論証は単に主張者の権威・地位・尊敬などで、結論を受け入れる誤謬である。

[次の論証の誤りを示せ]
先生が日本人であることを誇りを持て言った。
∴日本人であることを誇りに思う。

[解答]
 先生の言及が正しいという裏付けがない限り、この前提のみでは結論は誤っている。これも前提と結論に関連性がない。

 権威論証について、アインシュタインの有名な方法(これは実に、伝統的な物理学のそれである…)のように、それを証明するための背景知識が膨大であり、周知されていることもある。そのようなときは権威論証とは言わない。北米の論文の多くは、この論証をテクニックとして扱っている。
 しかし、この論証をあまり多用されているときには注意が必要である。得に主張者が単純に結論を急いでいると思われるときに誤りやすい。この誤謬を見抜くには、一つの論証の型がある。

xがPと言った
∴Pである

 結果Pの損得や影響などには一切関係ない。主張者が特定の根拠を放棄し、Xの評判を利用している可能性がある。一方で、アインシュタインのe=mc^2で用いた論証のように、権威論証はその権威の強さに比例して妥当となる、という見解が一般的ではある。

<多数論証(ad populum arguments)>
もう一度先ほどの型を見てみよう。

xがPと言った
∴Pである

 Xが多数のとき、それを肯定する場合がある。これは権威論証の特殊な例とも言えるが、多数論証ともいう。

[次の論証の誤りを示せ]
全ての人は婚前交渉がよくないと信じている
∴婚前交渉はよくない

[解答]
 もちろん”全ての人は婚前交渉がよくないと信じている”という前提は偽である。しかしたとえ前提が真であったとしても、全ての人の意見と結論には関連性はない。従って誤謬である。ほとんど全ての人が地球が平らだと信じていた時代に、地球が丸いと言った学者が間違っていたのか、ということを考えてみれば、この誤謬は理解しやすい。例えば、民主主義国家で一般的に行われている”選挙”の結果は、本当に正しいといえるのだろうか、という問題は未だ答えがない。

<同情論証(ad misericordiam arguments)>
 同情論証とは状況を打開するために、行為を許すか免れるかを求めるときに見られる誤謬である。

[次の論証の誤りを示せ]
女:「お巡りさん、子供が病気ですぐに病院へ連れていかないといけないんです。だから車には戻れません。」
警察官:「それでは駐車違反は見逃しましょう」

[解答]
 子供が病気であることと、駐車違反をしたことには関連性はない。だから駐車違反を見逃す理由にはならない。これは同情論証の誤謬であり、日常よく見られる論証である。

<未知論証(ad ignorantiam arguments)>
 実証されていない知識について否定することを未知論証という。未知論証にも型がある。

Pであることは証明されていない。
∴Pではない。

もしくは

Pでないことは証明されていない。
∴Pである。

 古典的な例を見てみよう。

[次の論証の誤りを示せ]
誰も神が存在することを証明していない
∴神は存在しない

誰も神が存在しないことを証明していない
∴神は存在する

[解答]
2つの例題はいずれも誤謬である。証明されていないことと、結果には関連性がない。もしこれが正しいとするなら、現在証明されていないことは全てありえないという結果になる。

<論点のすりかえ>
 前提で保証している根拠と結論で必要としている根拠が異なっている場合、論点のすりかえという。これも前提と結論に関連性がない誤謬である。

[次の論証の誤りを示せ]
際限のないインフレは経済によくない
先月10%のインフレだった
今月は7%のインフレである
∴経済は上向きである

[解答]
 前提ではインフレ率が根拠として挙げられているが、これは経済が上向きである根拠とは異なる。従って前提と結論に関連性なく、誤謬である。

 次の例を見てみよう。

警察官に汚職があるかもしれない
政治家や聖職者も汚職をしている
警察官の中には誠実な人もいる
∴警察官の汚職を見直そう(警察官の汚職は他の汚職ほど悪くはないことを暗示)

 この例は薫製ニシンの虚偽と言って、結論に関係ない前提で、さらに影響の与えることを暗示する。論点のすりかえの一種であるが、主にレトリックとして用いられる。”政治家や聖職者も汚職をしている”ことや”警察官の中には誠実な人もいる”ことは、警察官の汚職を見直すことと関連性がない。

 以上、これまで関連性の誤謬の代表的な例を挙げた。多くのパターンがあるように思えるが、前提と結論に関連性があるかを見破れば全て解決する。

関連性の誤謬1 個人攻撃(ad hominem)

 前提と結論に関連性がないため、論証の妥当性がないとき、「関連性の誤謬」という。一般的な関連性の評価については「論証の評価3.4関連性」を参照すること。関連性の誤謬はほとんど無効であるか非常に根拠薄弱である。関連性の誤謬について、多くの論理の文献ではラテン語で示すことが習慣となっている。まずは個人攻撃(ad hominem)の誤謬についてみてみよう。

個人攻撃の誤謬
 個人を攻撃する議論は、主張者を非難することで、議論そのものを信用しようとしないことであり、ここでは以下の5つに分類する。

1.個人への非難
 個人の年齢・性別・性格・家系・民族性・社会的または経済的地位・雰囲気・政治または宗教団体への加入などを理由に、主張を退けること。

[例題]次の論証の誤りを示せ
太郎は原子力発電に賛成している。
太郎は窃盗罪の前科がある。
よって原子力発電に反対しよう。

[解答]
 太郎の前科と原子力発電の賛否には関連性がない。従って原子力発電に反対する根拠とはならない。嫌いな人が言ったから否定する、という場合によくみられる。

2.関係者への非難
 主張者本人ではなく、関係者を攻撃して主張を退ける

[例題]次の論証の誤りを示せ
太郎は原子力発電に賛成している。
太郎の友人は窃盗罪の前科がある。
よって原子力発電に反対しよう。

[解答]
 太郎の友人がどうであれ、原子力発電の賛否には関連性がない。人間関係の悪さから本人の意見を否定する、という場合はこれにあたる。

3.行動や選択への非難(tu quoque)
 主張者の偽善・二重基準による行為・選択・原理的な矛盾を非難して主張を退ける

[例題]次の論証の誤りを示せ
太郎は飲み過ぎがよくないという。
太郎は毎日お酒を飲む。
よって飲み過ぎても問題ない。

[解答]
 太郎が毎日お酒を飲むことと、飲み過ぎが良いか悪いかには関連性がない。飲み過ぎてもよい根拠とはならない。悪いことをしている人の主張が、全て間違っているわけではないことを覚えておこう。

4.個人的損得への非難
 主張者と結論に利害関係があることを攻撃して、主張を退ける

[例題]次の論証の誤りを示せ
太郎は原子力発電に賛成している。
太郎は原子力発電によって莫大な利益を得る。
よって原子力発電に反対しよう。

[解答]
 太郎の損得と原子力発電の賛否には関連性があるとはいえない。これはよく企業や団体への批判においてみられる。

5.偶発的行為への非難
 ごくまれな偶発的事象によって個人を攻撃する。4の個人的損得への非難に分類してもよいが、厳密には分類できる。

[例題]次の論証の誤りを示せ
太郎は野菜が好きだと言っていた。
太郎はピーマンが嫌いと言っていた。
実は太郎は野菜が嫌いなのだ。

[解答]
 たまたま太郎はピーマンが嫌いと言っていただけで、その他の野菜を嫌いと言っているわけではない。これは結論が望ましくないとき、相手のあらさがしをして、結論を否定しようとするときによくみられる。

誤謬の概要と分類

 誤謬とは謝った論証のことである。記号論理のような演繹の評価には多くの確実な方法があるが、形式のない論証を評価するには、「論証の評価」でも説明したように、直感に頼る部分が大きい。

 誤謬の種類は主に以下の6種類に分類される。

1.関連性の誤謬
前提と結論に関連性がない

2.循環推論
証明しようとしていることを仮定している

3.意味論的誤謬
用語に複数の意味がある、または極めて曖昧な意味であり、論証の評価に影響を与える

4.帰納的誤謬
結論を導く確率が非常に低い

5.形式的誤謬
主に誤った演繹手順を行った場合

6.誤った前提の誤謬
単純に前提そのものが偽である場合

先ほど説明したように、5の形式的誤謬が演繹手順によるものだが、その部分を説明した書物は非常に多くある。しかし実際に見られるのは、1の関連性の誤謬や3の意味論的誤謬ではないだろうか。演繹の手順は膨大なので別の機会に説明するとして、直感的に間違いを起こしやすい誤謬について書こう。